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  • 2015/12/17

全くしゃべれず単身スペインへーそして20歳でオリンピックの通訳をすることにな った理由とは?【全文】

  • 単身1人でスペインに渡り、二十歳でオリンピックの通訳をすることになったグラフィックデザイナー長谷川じん氏の単独インタビュー。

    本インタビューのサマリー版はこちらです。

インタビュアー:山羊健太

——— 長谷川さんは、高校を卒業してすぐスペインへ渡ってるんですよね?

うん、もう中学生の頃には、外国へ行くって決めてた。

——— かなり早い段階で決めてたんですね。

中学がつまらなくてさ。学校行きたくなくて、サボって毎日 熊本城に行ってたんだ。

——— 熊本に住んでたんですか?

中学の時ね。熊本城の周りでブラブラ暇つぶししてると、よく外国人の観光客にトイレの場所を聞かれたんだ。それで案内してあげると、すごく喜んでくれて。「トイレはこちらですよ」「天守閣はあちらですよ」と色々と案内してあげた。そしたら、外国の人って気さくだから、すごい笑顔になって、外国のお金でチップくれたりしたんだ。外国人ってなんて面白いんだ!と思って、よくそうやって過ごしてた。熊本城の守衛さんも、なぜか笑顔で見守ってくれてたよ。

——— 中学校をサボって、外国人と交流してたんですか。(笑)

そう。(笑)それで親に「外国に住みたい」って言ったら、とりあえず高校は出てくれって言われたから、とりあえず進学はした。でも高校では、やっぱり授業にあんまり出席しないで、河原でよくサボってた。御巣鷹山に登ったりしてね。

——— 日航機墜落事故の山ですね。群馬に引っ越したんですか?

高校の時にね。両親は熊本に残って、私だけ祖父と一緒に群馬に住んでたから、親の目から離れて毎日自由に過ごせたんだ。学校から帰ると御巣鷹山までヒッチハイクで行って、夜も山で過ごした。山の中で眠って、山から登校したこともあったよ。

——— 1人で山に寝泊まりしてたんですか?

楽しかったから。

——— 変わった高校生ですね・・・。学校で先生から注意されなかったんですか?

うん、いい先生だったよね。その点はすごく感謝してる。私の思いをつぶさずに、私の好きに自由にさせてくれたから。学校の勉強したくなくて、サボってばかりの高校時代だったよ。それで無事卒業して、スペインへ行くことになった。

——— スペイン語は話せたんですか?

いや、ぜんぜん話せなかったよ。一応、英語の勉強はしていったけど、意味なかったね!スペインでは、英語は全く通じなかったから。

——— 言葉が話せないのに1人で行くなんて、勇気ありましたね!スペイン語が分からなくて、どうやって生活してたんですか?

最初は、毎日同じカフェに通って、わざと箸を使って食べたり、テーブルでずっと折り紙をしてて、誰かに声をかけてもらうのを待ったんだ。

——— スペイン語を学ぶために?

そう。すぐ店員に顔を覚えてもらったよ!やっぱ目立ってたんじゃない? カフェの常連さんとも仲良くなって、スラングとか生きた言葉っていうの? ネイティブが話す本場のスペイン語を、すぐに覚えることができた。人生で初めて「辞書ってスゴい!」って思ったのも、この時だった。学校の授業で開くのとはワケが違うよね。だって、伝えたい!っていう情熱があるから「この言葉、なんて言うの?」って本気で知りたいと思って。毎日、辞書ばっかり引いて、あっという間に吸収していったよ。スペインって地方ごとに言葉が違うのって、知ってる?

——— 方言ってことですか?

いや、日本語の方言とはちょっと違って、例えば、バスク地方だったらバスク独特の言語があって、カタルーニャ地方にはカタルーニャ語があって、そういうのってスペイン語とは全く違う言葉なんだよ。それからヒントを得て「私は、東京語と大阪語と熊本語と群馬語が話せます」って自己紹介したんだ。

——— いいアイデア!上手く言いましたね。

そしたら、「すげー!4つも話せんの?!」ってみんな驚いてくれて。(笑)その上、スペイン語も話せるから、就職には困らなかったよ!EI Corte Ingles っていう大手百貨店で働き始めたんだけど、スペインの人って日本とスタイルが違って、すごくゆったりしてるんだよ。仕事なのに、時間に厳しくないとか。そんな環境で、私は日本人の感覚できっちり仕事したんだ。そしたら、評判になってさ。「なんだ、あの立派に仕事をしてるスゴい奴は!」ってお客さんの間で大評判になって。そのうちに、お客さんから指名されるようになった。「ハセガワを出してくれ。ハセガワに接客してもらいたい」って。8階で靴を買ったお客さんを1階までお見送りしたら、スペイン人はみんな驚いてさ。私のこと、とんでもなく優秀でスゴい人だと思ったみたいで。べつに、普通に働いてただけなんだけど。(笑)

——— いやいや、それは謙遜ですよ。どうやったら日本人が外国で評価されるかってことを、正確に捉えられていたんでしょうね。その実現力は並大抵じゃない。すごいですよ。

うん、まぁ、興味を持ったことには積極的にチャレンジしてくって、意識はしてたかな。その頃って、ちょうどオリンピックがスペインで開催されたの、覚えてる?

——— バルセロナ・オリンピックですね。1992年。

私が二十歳くらいだったかな。現地での通訳の需要ってすごくあるじゃない? 百貨店で語学に堪能な優秀な店員だったからさ(笑)、私はメダリストや国の要人の通訳をすることになったんだ。

——— 二十歳でオリンピックの通訳したんですか!なかなか出来ない経験ですね!

そうだね。その時、同時にパラリンピックの通訳もすることになって。その時、誰かの役に立つ喜びを思い出したんだ。

——— 中学生の頃、外国人をトイレに案内したこと?

そう、熊本城を思い出した。パラリンピックでは、目の見えない柔道家たちをスペインの観光地へ案内したことがあって・・・

——— 目が見えない人に観光案内を?

彼らは目が見えないのに、「ここに何々があるよ」と私が説明をしたら、観光をすごく楽しんでくれたんだ!それが、ほんとに嬉しかった。私よりずっと身体能力が高い一流のアスリートでも、できないことがあった。でも、私が案内したことで、目の見えない彼らが観光地を楽しむことを可能にした。私がちょっと介在するだけで、誰かの世界が広がるってことを、経験を通して再び理解したんだ。だから、あの頃の私は誰かの役に立つのが嬉しくてしかたなかった。

——— それがどうして、デザインの仕事をすることになったんですか?

日本に帰国してすぐに、盲人のためのダイビングの会社の求人広告を見つけて、パラリンピックの経験から私は、すぐに入社面接に行ったんだよ。そしたら、実はそこ、デザインの会社だったんだ。その頃は、情報処理とデザインが融合する時代が始まる時で、私は情報処理を勉強してたことがあったから基礎技術を持ってた。

——— ちょうどPCが家庭に普及されはじめた時代ですね。90年代後半。

それまで手作業でしてたデザインを、PCを使って開始したばかりの頃だった。私は情報処理の基礎技術があったから、すぐに仕事が来るようになって、すぐに代理店からの指名でAppleのサイトのデザインとかも手がけるようになった。

——— Appleですか!すごいですね。

うん。でも、同僚からは「お前になんかできない。キャリアがないから無理だ」って悪い噂を流されたりとか、イジメっぽいことはあったよ。そういうの、なんて言うか知ってる? 『ドリーム・キラー』って言うんだ。「お前にはできない。無理だ」と言って、相手の可能性を殺してしまう人のこと。ドリーム・キラーには気をつけなきゃいけないよ。自分の可能性をつぶしてしまわないように。

だってね、当時私への悪い噂をたてた人は、今1人もデザインの仕事をしてない。みんなどこかへ行ってしまった。私だけが、いまだにデザインの現場に残ってるんだ。

ところで山羊さんは、小学校の卒業文集に「将来の夢」って何を書いた?

——— えっ、僕ですか? なんだったかな・・・

私が文集に書いた将来の夢は「パソコンを使って人を笑顔にする仕事」だった。それは今、実現している。つまりね、人はなりたいものに、なれるんだよ。たとえ、それが小さい子供の頃に思い描いたものだとしても、必ず、描いた思いは実現する。私は子供の頃からそう思ってたし、今もそう思ってるよ。

——— スペインに行く時に「失敗したらどうしよう…」とは考えなかったんですか?

それはなかったな。失敗の可能性を挙げて踏み出せなくなるより、とりあえず踏み出したい思いの方が強かったし。

悪い噂をたてた人たちが言う通り、私には履歴書に書ける資格みたいなキャリアはなかったけど、結果的には、中学生からの経験の全部がキャリアになったんだ。振り返ってみれば、私は子供の頃から他の人がしていない経験をしてきた。これって、みんなの中で1番になることを目指したんじゃなくて、自分がしたいことを自由に追究していった結果だと思う。

——— ナンバーワンよりオンリーワンってことですね。

そうとも言う。ナンバーワンも立派だけど、オンリーワンだって輝ける。だから学生には、キャリアだけにこだわらず、自分の好きに生きて欲しい。ナンバーワンもいいよ。でも、オンリーワンだってカッコイイ。 

【長谷川じん プロフィール】

グラフィック・デザイナー  有限会社コマンド・ジー・デザイン設立。装幀、広告、企業CIのデザインに加え、アプリ制作、カフェ経営、映画製作など、多方面で活躍。契約の関係で詳細は公表できないが、数多くの大規模な仕事を手掛ける。1人ではなく誰かと一緒につくる『つながるデザイン』がコンセプト。座右の銘は『万事良好』

 

インタビュアー紹介

 

山羊健太(やぎけんた):金融プロフェッショナル。

著書:True Colors 若者たちへ もう本は読まなくていい

HP:Making of True Colors Dear Youths.

Blog:食を制する者は、ビジネスを制す! by 山羊健太

その他のt-newsに掲載している山羊健太さんの記事を見るにはコチラ

著者:山羊健太

金融プロフェッショナル。Deloitte Touche Tohmatsu 有限責任監査法人トーマツ入社。米国系最大手投資銀行M監査チーム配属。その後、監査法人の管理職に昇格する出世の道を捨て、世界最大資産運用会社BlackRockの内部監査人に転じる。その後、外資系一流金融機関のキャリアを捨て、独立。3000万円の赤字を黒字にする約束でコンサルティング会社3代目CEO就任。次々に契約を結ぶ。その後、CEOの肩書きを捨て、現在は伝説のLPとして業界最大手金融機関に籍を置く。輝くキャリアを捨てまくることで、年収をウナギのぼりに上げ続けている。趣味は仕事。特技はマクロビ料理と海外旅行。TOEIC920点。

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