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  • 2014/06/27

【連載】あのエレキテルの人の、エレキテル以外の物語- 平賀源内 -part3

はじめに

  • どこにこんな引き出しが?と毎回思う林田さんの今回のコラムは、皆さんも受験勉強の際に日本の歴史で習ったであろう平賀源内を中心に日本の歴史を紐解いていきます。平賀源内を中心に、「蘭学事始」を著した杉田玄白と「解体新書」を著した前野良沢などを引き合いに出し、歴史のつながりと人のつながりの密接な関わりについて描いている物語のpart3。今回は平賀源内がいかに多くの人に影響を与えていたかというお話です。少し長いですが興味深いものとなっているので、お時間ある方は読んでみてはいかがでしょうか!?
  • (t-news編集部)

前回記事をまだ読んでいない方はコチラもチェック!!

⇒ 【連載】あのエレキテルの人の、エレキテル以外の物語- 平賀源内 Part2

平賀源内は一体何者なのか!?

平賀 源内が何者なのか、を判断するとき、本草学(漢方)の知識も習得した医者にして蘭学者、発明家、鉱山学者、画家でもあり、、、と、極度に専門化されてしまった現代の切り口では、一言では表現できないのであります。当時の人たちは、源内のことを「山師だ」と見なしている人も多かったんですけれども、あえて言えば「博物学者」と言うのが一番、しっくりくるのかもしれません。

しかし、源内のよくわかんない多彩な才能があったからこそ、この時代に活躍した人材たちは、みな源内のもとに集まり、それぞれの歴史的役割を果たしていくことになるのですが、見方を変えれば、平賀 源内という人物がハブとなったからこそ、彼らの活躍の場があったともいえます。

たとえば、この連載の最初で前野 良沢や杉田 玄白との繋がりを紹介しました。彼らは、青木 昆陽が残した700個程度の単語を集めた辞書をもとに、ほとんど何もない中から、わずか3年ほどで『ターヘルアナトミア』を翻訳し、『解体新書』を出版するわけです。『解体新書』を出版するまでのプロセスも、血と汗と涙の結晶のような物語があるのですが、詳細は『冬の鷹』(吉村 昭 著)にお任せするといたしまして、一つ疑問が湧くのは、この鎖国政策まっただ中の江戸時代・中期にあって、貿易国の一つであったとはいえ、オランダの書物の翻訳書である『解体新書』を、なぜ出版できたのか、ということなのであります。後で述べますが、実は、これも源内が一肌脱いでいます。

正義感の強い変わり者!?〜林 子平〜

少し話が前後しますが、後に「寛政の三奇人」と呼ばれた人たちがいます。林 子平、高山 彦九郎、蒲生 君平の三名です。蒲生 君平は他の二人と比べて20歳くらい若年ですから、源内との絡みはありませんが、林 子平と高山 彦九郎は親交があったんですね。林 子平と高山 彦九郎は、人物像としてはまったく異質なんですけれども、父親を早く失ったという点で生い立ちが似ています。

林 子平の父親は、林 源五兵衛といい江戸幕府の書物奉行として600石取りの武士でした。大身旗本とは言えませんが、鬼平犯科帳でお馴染みの長谷川 平蔵と同じくらいですから、決して貧乏侍ではありません。殿様です。ところが正義感が強く、直情型だった父、源五兵衛は、ある諍いが原因で上司にあたる大島 忠太夫を手打ちにしてしまうんですね。よくよく調べてみれば、大島 忠太夫の方に非があったのですが、さすがに上司を殺してしまったとあり、源五兵衛は職を辞し蓄電します。もはや家族を養えないというので、なんと家族も解散。なんとも困った子平たちは、叔父を頼って落ち延びていくのでありました。そしてこの叔父が医者なんですね。この時代に活躍した人材の殆どがそうですが、林 子平もここで医術を習得し、医者になります。

没落してしまった林家ではありましたが、ここに幸運が転がりこんできます。なんと子平のお姉さん、なほ と言いますが、それが絶世の美女だったんですね。彼女が仙台藩主、伊達 宗村に見初められて結婚しちゃったのであります。ということで、一転、藩主の奥方の弟として林 子平は、堂々、仙台へ赴くことになります。このときの仙台藩の藩医が、後に『赤蝦夷風説考』を著す工藤 兵助です。子平の『海国兵談』の系譜はここから始まるんですね。いやぁ、つながってる。美しい。

ところが仙台に着いてみると、天明の大飢饉、天保の大飢饉の予兆ともいえる宝暦飢饉の影響で人々は飢えに飢えていたんですね。そして、子平はあの源五兵衛の息子なのであります。こんな状態、許せんッ、と、せっかく藩医の職にありついたにも関わらず、いきなり藩に政策提言してしまうのです。

「きみ、いきなり何いってるんだね。新人の、それも藩医のくせに、、、」

と幹部にあしらわれると、もうやってられんッ、と蓄電。旅支度を整えて、単身、江戸へと舞い戻るのでした。もはや身寄りもない、何をやるかも決まってない。さてどこへ行こうか、と思いつく先は、工藤 兵助とも親交があった平賀 源内さんのとこだったのであります。 

剣術を学ぶために源内のところへ〜高山 彦九郎〜

さて、高山 彦九郎はといいますと、こちらは上州の農家の次男として生を受けます。とてつもないお祖母さんっ子で、祖母からは、

「わが家はね、今は農民だけど、ご先祖様は新田 義貞の家来として北朝方と戦ったのよ」

と、事あるごとに吹き込まれ、

 「そうか。わが家は後醍醐天皇とともに戦った、新田氏ゆかりの家だったのだ、今は農民だけど」

と、なぜか北関東の地で、立派な勤王家の青年に成長していくのでありました。そんな中、父親の良右衛門が、ふとしたもめ事で地元の代官に殺されてしまいます。農家なんですから、そんなことしなくて良いんですけれども、立派な勤王家に育っていた彦九郎は、敵討ちを志します。敵討ちを志す、と言っても素性は農民ですから、まずは剣術の修行をしなければなりません。剣術の修行をするために江戸へ旅立った彦九郎が行く先は、どこか。そう、有名人である源内さんのところなのであります。

浮世絵にも関わる!?源内が影響を与えた人、数しれず…

林 子平や高山 彦九郎が平賀 源内の元を訪れた頃、浮世絵師の鈴木 春信も源内のもとに出入りしています。喜多川 歌麿、東洲斎 写楽、安藤 広重、葛飾 北斎など、後の浮世絵ブームの礎を作った人が、この鈴木 春信です。何をやった人かというと、それまで浮世絵というのは一色刷り、多くても二色刷りが主流だったんですね。そこに、非常にカラフルな多色刷りの技術を持ち込んだのが、この鈴木 春信です。もちろん、源内のアドバイスに沿ってであったことは言うまでもありません。

鈴木 春信にくっついて、弟子の鈴木 春重も源内の家に出入りしています。彼は、師である春信の浮世絵よりも、源内の周りに広がる蘭学の世界に魅了されてしまいました。やがて彼は鈴木 春信のもとを去り、日本で初めての銅版画を、司馬 江漢という名前で完成させることになります。

今日はここまで!
続きは、次回をお楽しみに!!

関連リンク

【連載】あのエレキテルの人の、エレキテル以外の物語- 平賀源内 Part1
【連載】あのエレキテルの人の、エレキテル以外の物語- 平賀源内 -part2 
 

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コラムニスト紹介

林田暢明 HAYASHIDA, Nobuaki
TAO CAFE 代表
特定非営利活動法人エンジョイコミュニケーションズ 理事
総務省 地域資源・事業化支援アドバイザー
1977年11月4日生、35歳、既婚。福岡県出身。

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特定非営利活動法人エンジョイコミュニケーションズ

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著者:林田暢明

特定非営利活動法人エンジョイコミュニケーションズ 理事
総務省 地域資源・事業化支援アドバイザー

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