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  • 2014/07/12

【偉人伝】「海外の人と上手に接する力」-白洲次郎

  •  今回の偉人は白洲次郎です。彼は戦後日本においてGHQと渡り合った人物です。彼から学べることは、海外の人といかに接するか、ということです。時間がない方は、下の【t-news編集部より】からお読みください!彼の有名な言葉に「われわれは戦争に負けたが、奴隷になったのではない」という言葉もあるように、決してぶれることなく交渉に臨んだと言います。彼がいなかったら今の日本国憲法も大きく変わっていたかもしれません。今回はそんな彼の生涯を紹介していきます。

 不良からエリートまで

 1902年2月17日。彼は兵庫県で生まれました。もともと白洲家は、三田藩の藩校で代々儒学を教えていた家系であったそうです。彼の祖父は福沢諭吉からも親交のあった人物であり、彼の両親も綿花貿易で栄えていたそうです。彼はなかなか恵まれた環境で育ったと言えるでしょう。しかし、彼の素行は良くなかったそうです。

 旧制第一神戸中学校に入学すると、サッカー部、野球部に所属していたそうですが、なかなかの乱暴者として評判だったそうです。成績もそこまで芳しいものではなく、成績表の素行欄には『やや傲慢』『驕慢』といった文字が並んでいたとか。まさに不良少年といった少年時代だったそうです。そんな彼も家柄が良かったことが幸いしたのでしょう。

 彼は第一神戸中学校を卒業するとケンブリッジ大学クレア・カレッジに留学。当時彼は西洋中世史を勉強しており、学者になることを志望していたそうです。彼はここで7世ストラッフォード伯爵ロバート・セシル・ビングと親友になり、ともにレースに熱中します。彼のあだ名に「オイリー・ボーイ」というものがありますが、オイルまみれになるほどの車好きという意味だそうです。

 それほどに車に熱中していたそうです。勿論彼はここでレースに興じていただけではありません。彼がここで後々彼の強い武器となる英語力を身に着けていきます。オックスオード大学とケンブリッジ大学の学生や教員が話す独特の訛りをオックスブリッジアクセントと言いますが、彼はそれを身に着けていたそうです。イギリスでは英語のアクセントで階級が判断されることもあるくらいですから、彼が上流階級の話す英語を身に着けたことは大きなアドバンテージだったことでしょう。

ヨハンセングループ、始動

 彼はケンブリッジ大学を卒業後、大学院進学を希望していたそうです。しかし、彼は帰国を余儀なくされます。昭和恐慌によって彼の父が経営していた白洲商店が倒産してしまったのです。その後の彼のキャリアはグローバルなものでした。英字新聞『ジャパン・アドバタイザー』に就職して記者となり、その後にはイギリスのセール・フレイザー商会に勤務、そして後の日本水産となる日本食糧工業の取締役となります。

 この時には彼は海外にいることが多かったらしく、駐イギリス特命全権大使であった吉田茂と親交を持つようになり、イギリス大使館に寝泊まりすることが多かったそうです。戦前の彼は政治家だった訳ではなく、ビジネスマンとして活躍していた人物だったのです。しかし、この時の人脈があったからこそ、戦後に彼が活躍することができたのです。

『今に見てろ』ト云フ気持抑ヘ切レスヒソカニ涙ス

 1945年日本がポツダム宣言を受諾し、敗戦が決定しました。外務大臣に就任した吉田茂は終戦連絡中央事務局という事務局の参与に彼を推薦します。彼はあくまで対等という立場からGHQと交渉に臨みます。主張すべきところははっきりと主張していたことから、GHQの高官からは「従順ならざる唯一の日本人」として手ごわい相手として認識されていたそうです。

 この時に彼の英語力も後押しとなったでしょう。また憲法改正においてもGHQをけん制しようとしていました。GHQ草案の検討に時間を確保しようと書簡を出していたりしたそうです。また有名な話としてGHQ草案の シンボルという表現を象徴と訳したのは彼だったそうです。今天皇は国家の象徴であるという表現は彼によるものなのです。彼は憲法改正に大きく関わっていたのです。

 彼は後に日本国憲法を「押しつけ憲法」と言っていますが、彼がGHQ草案に抵抗しきれなかった悔しさがこの言葉の裏にはあるのでしょう。実際に憲法改正作業後の彼の手記には「斯ノ如クシテコノ敗戦最露出ノ憲法案ハ生ル『今に見ていろ』ト云フ気持抑ヘ切レスヒソカニ涙ス」とあったそうです。まさに日本のために尽力していたことが伝わってきます。


(兵庫県にある白洲次郎夫妻の墓。右が白洲次郎の墓だそう。)

t-news編集部より

 従順ならざる唯一の日本人、白洲次郎。彼の口癖にはプリンシパルというものがあったそうです。彼は次のように述べています。「プリンシプルとは何と訳したらよいか知らない。原則とでもいうのか。…西洋人とつき合うには、すべての言動にプリンシプルがはっきりしていることは絶対に必要である。日本も明治維新前までの武士階級等は、総ての言動は本能的にプリンシプルによらなければならないという教育を徹底的にたたき込まれたものらしい」と言っています。

 おそらく、常に筋を通すべき考えだったのではないでしょうか。彼は実際に言うべきことは言う、筋は通すという自分のスタイルを崩すことはありませんでした。しかし、彼がそういう人間だったからこそ彼は日本人からもGHQからも一目置かれる存在でいられたのではないでしょうか。きちんと筋を通すことそれが様々な人と上手くやっていくコツなのかもしれません。

この要素が活用されている例

 彼は実はビジネスマンとしても非常に優秀でした。彼は東北電力会長、荒川水力電気会長、大沢商会会長、今のマルハである大洋漁業、日本テレビ、今のUBSにあたるウォーバーグ証券の役員や顧問を歴任していました。これは彼の「プリンシパル」に従うという彼のスタイルが業界を超えて広く評価されていたということでしょう。今とは時代が違うとはいえ、これほどまでに多くの業界で強い影響力を行使した人物はそうはいないでしょう。

 この力は、みなさん学生にも求められています。グローバル化が進むこれからの時代には、海外の人と接する機会が増え、今までより「個の力」が要求されるためです。軸をぶれずに行動しないとうまくコミュニケーションはとれないでしょう。企業が求めているのは専門知識よりもまずは、上に立つ者としての資質なのかもしれません。

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